Those Good Old Dreams
〜トオイ オモイデ〜

毎朝、エヴァは5時には起きる。
そして、キッチンに立ち、まずはお湯を沸かす。
彼女の夫は毎朝のコーヒーを楽しみにしている。
もちろん引き立ての豆とフレッシュミルクでなければいけない。

今日のパンにはクルミを練り込もう。
フレイアはクルミが入っているパンだと、いつもよりも多く食べる。
ヨハネスも大好きなクルミパン。

そうだ、今日は幼年学校まで行って、寮の食堂にパンを届けよう。
ヨハネスも喜ぶだろう。
その笑顔を思い浮かべつつ、パン生地を練る腕に力が入る。


少しすると、フェリックスが起き出してくる。
フェリックスは朝が早い。
「おはよう、ムッター」
と、にっこりと笑って言う。
「おはよう、フェル。いつも早いのね」
「みんながお寝坊なんだよ」
「そう?じゃあ、ファーターを起こしてきてくれる?」
「うん、いいよ!」
フェリックスは敬愛するファーターの部屋へと急ぐ。


フェリックスはすでに、この家の夫妻が
自分の実の親でないことを知っているが、
それでもふたりのことを実の両親と同じように思っている。
少なくとも、自分はそう信じている。

でも。ときどきいたずら心を起こしてみたくなる。
今日は何となくそう言う気分だ。


シーツを頭までかぶって、
この家の主人ウォルフガング・ミッターマイヤーは眠っている。
シーツの間から
蜂蜜色のいつもよりもよけいに絡まった髪が見えかくれしている。
フェリックスはそっとその髪に触れる。

そして、そっとささやいてみる。
「Guten Morgen,Wolf」
・・・いつも返ってくる、答えを期待して。
いや、もしかしたら、違う答えが返ってくることを少しだけ期待して。

「ん〜〜、・・・・・・Guten Morgen,Osker・・・」
寝ぼけた声でミッターマイヤーがつぶやく。
やっぱりだ。フェリックスは苦笑する。
そんなに似ているのかな?

「ぼくだよ、ファーター」
とつぶやくと、ミッターマイヤーはバネ仕掛けの人形のように飛び起きる。
「・・・フェリックス?」
「また間違えた」わざと楽しそうな声を出して、フェリックスが笑う。
そして、軽くミッターマイヤーに口づける。
「おはよう」

小さいときからの習慣となっている、おはようのキス。
頬だったり、額だったり、口だったり。

そう言うところがそっくりだ、ミッターマイヤーは考える。
あいつも、やたらいつもべたべたとくっついてきた。
ただし、酔っているときだけだったが。
いつもあいつが隠している、幼い頃のままの、
傷つきやすい魂がかいま見えるその瞬間が好きだった。


いつまで親子でいられるのだろう。
いつまでおれのことをファーターと呼んでくれるのだろう?
あいつがフェリックス・フォン・ロイエンタールになるのは、
いつの日だろう・・・?


おはようのキス。
フェリックスにとって、ファーターへのそれと、フレイアへのそれでは、
少し意味が変わってくる。


眠気をまとったままの顔で部屋を出てきたフレイアは、
フェリックスを見つけると、まず抱きついてくる。
これも幼い頃からの習慣。そして、
「おはよう」
とキスをする。
「おはよう」とキスを返しつつ、フェリックスは考える。

いつまで兄妹でいられるのだろう。
いつまで、兄妹でいなければならないんだろう?


ファーターとムッターの、これも毎日の習慣になっているおはようのキス。
軽くお互いの唇に触れるだけだけど、
なによりもすてきな、キス。
「愛している」
口に出して言わなくても、自然に伝わるその言葉。

フレイアは考える。

いつになったら、ファーターのような人に巡り会えるのだろう?
それとも、もう巡り会っているのだろうか?


マリーテレーゼはお寝坊さんだ。
いつも起きてくるのは最後になる。

起きてきたマリーテレーゼを待っているのは、
いつもの優しいファーターのほっぺたへのキスだ。

マリーテレーゼは考える。
いつか。いつか、金色の髪と青い瞳の王子様が来てくれて、
わたしに魔法のキスをするんだ。
絵本で読んだみたいに。


テーブルに着いた、夫と、フェリックスと、フレイアと、
寝ぼけまなこのマリーテレーゼ。
そして、ここにはいない息子達。
エヴァは考える。

いつまでも・・・かなうはずはないけれど、
いつまでも”家族”でいてほしい。
連れて行かないで。どこにも。

誰に対して、そう思ったのか。


「じゃあ、行ってくるよ、エヴァ」
「いってらっしゃい、あなた」
「・・・ごめん、今日は帰れないかもしれない」
そう言うと、ミッターマイヤーは、
これも毎日の習慣になっているキスを交わす。
1つ、2つ。
「明日の分」
照れくさそうにそう言うと、いつもよりも長いキスを一つ。
エヴァの漠然とした不安をかき消すように。


「もう!感じやすい年頃の子どもが見ているんだからね!
 いい年して何やってるの!!」
これもいつものこと。怒ったようなフレイアの声。
「フレイア、途中まで乗っていくか?」
と、父親がいうのもいつものこと。
「やった!その一言を待っていたのよ。学校の前までね」
フレイアは父親に似た笑顔を見せると、さっさと地上車に乗り込む。
「フェリックスは?」
「いいの?じゃ途中まで」
「いいじゃない、校門の前まで」
フェリックスの通う中学校と、フレイアが通うギムナジウムは隣接している。
「ずるい!」
徒歩10分の小学校に通っているマリーテレーゼがぷぅ!とふくれる。
「あんたも大きくなったらね」
と、自慢するようにフレイアが言う。
「よし、今日は特別だ。マリーテレーゼも乗っていけ」
「やったぁ!」
子ども達がぞろぞろと地上車に乗り込んでくる。


いつまで、家族で、同じ道を進めるのだろう?


音もなく、地上車が動き出す。

愛する夫と、子ども達を送り出したエヴァは、そっと家の中へ引き返す。
そして、ゆっくりと、玄関のドアが閉められた。


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ミッターマイヤー家の日常を考えていたら、こんな駄文を思いつきました。
どうも周期的に、ギャグとシリアスを書きたくなるようです。